アネモネ手帖

小説家・三木笙子のブログ

何か描くとき創るとき 頭ではなく 人の持つ手が考える

原稿をやっている最中、どう書けばいいか分からないとき、手があやとりをやっているような動きをしているときがあります。

たとえばスケッチを描いていると、ものすごくたくさんの線が生まれます。その中に、自分が当初考えていた形とか面とか線とかを通り越して、自分が予想もしていなかったアイデアに導いてくれる線がある。(中略)

いい絵というのは、描き手にとって思っていたよりもはるかに高いレベルで、自分が漠然と考えていたことを具現化しているものです。本当にいい絵やスケッチが描けた時は、自分が天才のように思えて、しばらくその絵を貼って眺めたりしてしまいます。それは自分ではなく、自分の手が天才だからです。

フェラーリと鉄瓶 (PHP文庫)

フェラーリと鉄瓶 (PHP文庫)

 

 

頭であれこれ悩むより、頭はむしろ空虚にして、手だけ動かす、そして願ったものが向うからやってくるまで、それをつづける。

江戸切絵図貼交屏風

江戸切絵図貼交屏風

 

 

機を織っていて縷々手は考えている、と実感することがある。頭で考えるより先に手が色を選ぶ。リズムをつかむ。そういう時、思いがけない音色が生れる。頭脳の司令が手の先にとどく前に手の中の頭脳がそれを判断しているのだろうか。そうではなく何か手の先の方から司令がやってくるようなのだ。

母なる色

母なる色

 

私の 手にとっては、文章を書くことと、あやとりをやることは同じ働きなのかもしれないと思いました。
文章を紡ぐことと、糸で形を創ることと。

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