アネモネ手帖

小説家・三木笙子のブログ

「小説家というのは本当にしようのないもので」 : 辻邦生『言葉の箱』(メタローグ)

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私が繰り返し読む小説の書き方本は3冊あるのですが、その中の一冊は辻邦生先生の『言葉の箱』です。
何とCDまで持っている!
だって好きなんだもん!

 
で、肝心の中身はというと、「先生、そりゃワタシにはちょっとムリ」って感じの内容もありますが、小説っていいものなんだなあ、という気持が素直に静かに湧いてきます。
私は書くことが苦にならない、書いていれば楽しいというタイプではないので、初心を忘れまくっているときには、必ず手に取ります。

ぼくが、旧制の高等学校でドイツ語の勉強をしておりましたころ、岩波文庫の『魔の山』とか『ブッテンブローク家の人びと』を訳した望月市恵という先生がおられました。(中略)その望月先生が、小説家というのは本当にしようのないもので、初めから終わりまで同じことっきり言いませんねえ、と皮肉混じりに言われたんです。
ぼくも小説家になってから、いろいろと新しい試みをずいぶんしてきましたけれども、振り返ってみると、初期に書いたことと今書いていることはほとんど同じか、ないしは同じ主題について、結局はいろいろなヴァリエーションを言っているにすぎないということに気がつきました。


辻邦生『言葉の箱』(メタローグ

 ついさっき、古い友人から『クラーク巴里探偵録』の感想をもらったのですが(Sさんありがとう!)、ああ私本当に昔から同じことしか書いていないのだなと改めて思いました。
書きたいことはひとつか二つしかなくて、それを書かんがために、様々な舞台をこしらえ続けるわけですが、背景は違っても書かれている内容は同じに決まっていて、人は変わり続けるはずなのに、決して変わることのない、この「書きたいこと」、つまり人が心底好きだと思っているもの、「好み」とは一体どういうものなのか。

これ、どこから来たのかなあ。
ワタシが生まれている以上、ご先祖の誰かが持っていた遺伝子に刻まれていたのだと思いますが、ひたすらさかのぼっていけば、出アフリカまで辿りつくはずで、今のワタシとは姿形も何もかも違っていたとしても、同じ「好み」を持っているからには、ワタシは確実にその人の娘なんだろうなと思います。

言葉の箱―小説を書くということ

言葉の箱―小説を書くということ

 
クラーク巴里探偵録 (幻冬舎文庫)

クラーク巴里探偵録 (幻冬舎文庫)

 
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