明治時代からあった「つんどく」
明治時代を舞台にした小説を書いていると、何気なく書いた単語が当時使われていたのかどうか、とても気になってくることがあります。
あまりにも馴染みのある単語だと、昔からあるに決まっていると思いこんでいて、疑問に持つことさえないので、だいぶ地雷を踏んでるんだろうなあ……と思いますが、それでもできる限り気をつけて調べています。
これは私が愛用している資料の中の一冊で、著者の森さんが、明治の新聞雑誌から興味のある記事を集めた本です。
つんどく
明治34年『学燈』 「書籍つんどく者を奨説す」という一文あり
もうこの時代からあったのか……!と思うと感慨深いです。
田尻北雷博士という方がこの言葉の生みの親だとか。
オジャン
明治26年『団々珍聞』 「明治二十五年の旧天地なる者は、昨十二月三十一日の正十二時限りを以て、サラリサッパリオジャンとなって」という一文あり
私の小説の舞台は明治の後半ですから、登場人物が「オジャン」と言ってもいいのでしょうが、何となくイメージに合いません。
でも、「華族女学校の姫君達の間から生れたという説を聞いたことがある」と書いてあるので、元々は上品なお言葉なのかしら。
凄い・すばらしい・すてき
「『凄い』だの、『すばらしい』だの、『すてき』などという、素性の判然せぬ言葉が、今では歌謡にも取入れられたりして」と、著者の森さんが嘆いていますが、森さんがこの本をお書きになったのは昭和44年です。
私の生まれるたった6年前ですが、明治28年生れの森さんからすると、「凄い」とか「素敵」はおかしな言葉に聞こえるらしい。
辻邦生『樹の声 海の声』の主人公のモデルになったマリア・ユリ・ホエツカ夫人は、「現在ではもう聞くことのできない明治大正の上品な日本語を話された」そうで、
「いまは、私どもが戸惑う言葉をみなさん口になさいますね。むかしは、頑張れなどという言葉は、どなたもおっしゃりませんでした」
私はこの文章を読んでも、しばらくの間はどうして「頑張れ」が良くないのか分かりませんでした。
ぎこちない文書になってもどうかと思いますが、あんまり現代風に書いてもなあ……と、いつもいつも考えさせられています。