アネモネ手帖

小説家・三木笙子のブログ

「正しさ」と戦う : 辻邦生『モンマルトル日記』(集英社)

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古い時代を小説の舞台にすると、調べる資料が多くなります。
『モンマルトル日記』では、辻先生が小説を書く上での課題を考え抜いているのですが、私にとって特に関心があるものばかりなので、今もしつこく繰り返し読んでいます。
「調べて書く」はその中のひとつ。

 

ここずっと模索をつづけていたが、ちょっした不安は、調べなどをしていると、いつか「事実性」にひかれてゆき、

問題は「事実性」に足をすくわれぬように、つねに「感じ(サンサシオン)」をなまなましく伝えることを目標とすべきだ。とくに調べてかく作品が多くなると余計そうなる。

「光悦」は結局、詩的な感情の思いのままに書くことをためらって、資料につこうとしたところから、よろこびがなくなっているのである。

昨日までで『嵯峨野明月記』後半の細かい覚書をとる。
論文ではないので、知的に展開するのではない。あくまで「情感」を流出させてゆく。

『嵯峨野明月記』の中断は、時代風俗をコピーしようというかかる誤りによって生みだされたものだ。

昔のことは調べなければ書けません。
でも、正確に書けているからどうだっていうんだろう。
事実はとても強いものですが、資料を読みながら、「正しさ」に引きずられそうになる気持と戦っています。

モンマルトル日記 (1974年)

モンマルトル日記 (1974年)