アネモネ手帖

小説家・三木笙子のブログ

夫婦間の「察してほしい」「言ってくれないと分からない」問題

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ワタシは外出先からオコジョさん(夫)によくこんなメールを送っていました。

「17時25分に駅に着きます。一緒にご飯を食べましょう」

その意図するところは、

 

「17時25分に駅の改札前で待っていてください。自宅に戻るのは面倒なので、駅にいてもらえると時間が短縮できて助かります」

 しかし、一度としてオコジョさんが待っていてくれたことはありませんでした。
そして駅に着いてから電話をすると、「今から出ます」と言われるのです。
メールを読めば、着く時間も分かるし、外で食べることも推測できる、それなのにどうして事前に準備をしておかないのだろうと不思議に思っていました。


が、今日はこんなメールを送ってみたのです。

「17時25分に駅に着きます。○○という店で食事をしたいので、改札前で待っていてください。OKでしたら返信をください」

すると「分かりました」と返信が届き、オコジョさんは改札前で待っていてくれました。


伝わらないのか。
ここまで書かなければ。

 

齢四十にしてようやく理解できました。
四十にして惑わずどころか、試行錯誤の連続です。
とはいえ客観的に見ると、オコジョさんがそこまで意図を汲まねばならない理由はなく、単純にワタシの説明不足です。


以前、どなたか忘れましたが、芸能人の方の離婚理由で、「相手に分かってもらおうと思わなくなった」というのを聞いたとき、「ああそれじゃな」と心の底から納得したことがあります。
あることに対して自分がどう考えているのか、どう思っているのか、どうしてあんなことを言い、そんな態度を取ったのか、説明するのは本当に面倒です。
でもそれを分かってもらいたい人がいる。
分かってくれなくても見守ってもらいたいときがある。
好意のある人に対してはそう思いますが、その好意が薄れると「分かってもらわなくていいや」に移行します。
だから説明するということは愛情そのものなのです。
マジめんどくさい。
分かれよ!
そんな感情を呑みこんで、日々言葉を尽くしたいと思います。


しかし実際のところ、オコジョさんは察しのいい方で、というより解釈が独特なのかもしれませんが、あるとき玄関にカバンを置いたままにしていたところ、「具合が悪いのですか」と心配されたことがあります。
「カバンを玄関に置いている→自室まで持っていくこともできないほど体力がない」という結論に達したかららしいのですが、それ以来、カバンは必ず片づけるようになりました。
でもあれ、「ちゃんと片づけなさい」って意味の嫌味?